ご存知のように、今、日本にはムジナモの自生地は1ヶ所しかありません。埼玉県羽生市の宝蔵寺沼です。しかし、ここでも野生状態のものは既に絶滅し、現在は地元羽生市が中心になって増殖・放流をして自生地回復の試みがなされています。ただ残念ながら現在のところ、自然条件下で安定して繁殖し、定着するまでには至っていないようです。 羽生市の他にもいくつかの場所でムジナモの生息地を復元しようと言う試みが行われているようです。 自然状態でムジナモが繁殖する生息地が実現するのもそう遠い事ではない事を願ってやみません。 |
●羽生市 宝蔵寺沼 | ||||||||||||||||
羽生市にはご存知のように日本で唯一となったムジナモ自生地の宝蔵寺沼があります。 宝蔵寺沼のムジナモは1921(大正10)年に発見され、その自生地は1949(昭和24)年に埼玉県の天然記念物に、1966(昭和41)年に国の天然記念物に指定されています。 ただし天然記念物に指定された年の台風による被害でほとんどが流失。翌年ごくわずかに残ったものも当時周辺の水田で盛んに使用されていた除草剤などの農薬の影響を受けて消失してしまっています。 1966年当時すでに残存数が少なかったと思われがちですが、当時宝蔵寺沼のムジナモの増殖は最盛だったそうです。ただ、その後の水質汚濁を見ると台風による流失がなくてもいずれ減少した物と思われます。 消失後何度か復元のために放流が試みられましたが、環境悪化のためにことごとく失敗しました。 その後水質も徐々に改善され、1979(昭和54)年から本格的に放流実験を開始し、1981(昭和58)年にはムジナモ保存会が結成されて、以後この保存会を中心として自生地復元の努力が続けられています。 宝蔵寺沼周辺は1980(昭和55)年に羽生水郷公園として整備され、隣接地には1983(昭和58)年にムジナモや国産淡水魚を紹介する県営さいたま水族館がオープンしています。 ムジナモ放流は現在も続けられており、無事越冬もするそうですが、翌年にはそのほとんどがザリガニや草食魚類の食害で消失してしまうようです。 これは現在の宝蔵寺沼の生物層が昔と異なり、草食魚類が生物ピラミッドの頂点に立っていると言うアンバランスが影響しているようです。宝蔵寺沼が昔のようなムジナモの生息地になるのには残念ながらもう少し時間がかかりそうです。 *「宝蔵寺沼」と聞くと、多くの方は広い開放水面がある大きな沼を想像されるかもしれません(実際現在の羽生水郷公園で、私たちが一般に目にすることが出来るのはそのような場所です)。しかし、本来の宝蔵寺沼は縦横に掘られた細い農業用の掘割が集まった地域(通称堀上げ田)で、開水域が広くない沼でした。 下の写真左は昭和49(1974)年の宝蔵寺沼です。ムジナモが消失してから7年後ですが、ムジナモが生息していた当時とまだあまり変わっていません。 写真右は平成2(1990)年の宝蔵寺沼です。一帯は羽生水郷公園として整備され、沼の左側は掘り下げられて、現在見られるような広い開放水面になっています。右側に残る掘割部分がムジナモ自生地として保護されている場所です。
羽生市とさいたま水族館にムジナモ保護に関してのアンケートを送ったところ、快くご回答をいただくことができましたので、下記にご紹介させていただきます。
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●えどがわエコセンター | |||
東京都江戸川区の特定非営利活動法人えどがわエコセンターでは、日本でのムジナモ発見の地である江戸川区小岩にムジナモの生息地を復元しようと言う「ムジナモ再生事業」を平成16年にスタートさせました。 小岩のムジナモ自生地は1921年に国指定天然記念物の指定を受けましたが、洪水での流失などにより絶滅。5年後の1926年には天然記念物の指定を解除されるという経緯があります。 「ムジナモ再生事業」では宝蔵寺沼のムジナモを譲り受け、公募した里親に栽培・増殖してもらい、小岩菖蒲園につくる池に放流して、ムジナモの生息地を復元、維持して行こうと言う計画のようです。
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●京都府宇治市立伊勢田小学校 〜ムジナモのある小学校〜 | |
宇治市にある伊勢田小学校では、校庭にある通称“巨椋池”と呼ぶ池で、伊勢田史友会の方々の協力を得てムジナモを栽培。ムジナモを教材、学習素材として活用しています。 ここで育てられているのは巨椋池系統のムジナモで、毎年夏には池を覆いつくすほどに育っているようです。 ムジナモに関してのアンケートをお送りした所、快く応じてくださいましたので、以下にご紹介させていただきます。 (アンケートにお答えいただきました松田様にはこの場を借りて御礼申し上げます。ありがとうございました) |
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伊勢田小学校でムジナモの栽培を始めたのは、ホームページに記してある通り1998(平成10)年3月です。地域のお年寄りが中心になって組織され、地域の歴史を伝えておられる史友会の会員の方が、かっての巨椋池に自生していた食虫植物のムジナモを学習に生かして欲しいということで、自宅で大切に栽培されている貴重なムジナモを、伊勢田小学校の中庭の池に一部移植して頂き、その世話も今に至るまで、ずっと続けていただいています。 ムジナモの栽培は、なかなか難しく、市をあげてその栽培・保存を進めておられる埼玉県羽生市においても、試行錯誤を繰り返し、なかなかうまくいっていないようです。伊勢田の史友会の会員が、1997(平成9年)には、わざわざ羽生市に出向き、わらの活用や栽培水槽の作り方など、具体的に栽培指導を行ったこともありました。 羽生市のムジナモの栽培の取り組みについてはご存知かと思いますが、1999年5月4日の日本テレビ「おもいっきりテレビ」『きょうはなんの日』のコーナーで紹介されました。伊勢田小学校においても、何度か桶や水槽等で独自に栽培を試みていますが、なかなか上手くいっていません。姫路市の手柄山温室植物園の栽培方法も参考にして、水槽の底に鹿沼土を敷き詰め、水質を弱酸性に保ちながら栽培にチャレンジしています。但し、餌になるミジンコなどのプランクトンは、他の池から供給しなければなりません。また、藻が絡めついてくると、あっという間にムジナモは消滅してしまいますので、油断できません。一方、史友会の栽培方法は、池の掃除、わら束の投入など手間がかかり、コツもいるので、なかなか受け継いでいけません。大きな課題です。 ムジナモは、社会科学習、総合的な学習や理科学習の教材として、大いに活用しています。かつて存在した巨椋池は、現在の京都市南部から宇治市北部にかけての、宇治川、桂川、木津川の合流地点手前の低地にできた池で、川の氾濫を自然に調節する遊水地としての役目を果たしていました。よって、その大きさは、周囲16キロ(水深は深いところでも、約1.5m)といわれていましたが、季節ごとに大きく変化していたようです。巨椋池には、多くの種類の魚介類や水生植物が生息し、また池には多くの水鳥が集まってきました。その中には、オグラという名前がついているものもありました。オグラヌマガイ・オグラコウホネ・オグラノフサモ・オグラヒルムシロです。 数年前、淀の競馬場の池が、かつての巨椋池の一部だったことに注目が集まり、その生き物調査が行われたという報道がありました。 自然豊かな巨椋池でありましたが、水害、汚水流入、マラリアの発生等の問題が大きくなったこともあり、干拓計画が持ち上がり、ついに、1933年干拓工事が始まり、1941年完成、巨椋池は豊かな農地(634ha)に変貌し、現在に至っています。 ムジナモは、その干拓工事の過程で残念ながら消滅し、幻の天然記念物になってしまいましたが、自分たちが住んでいる地域の歴史教材として、食虫植物として生態に注目する生き物教材として、その価値は十分にあり、今後も大いに活用していきたいです。 伊勢田小学校 情報教育担当 松田 伊勢田小学校のHPはコチラ |