ニ、邑楽町の特記すべき植物 | |||||
1 タカノホシクサ | |||||
明治四二年八月一〇日高野貞助氏(当時太田中学邑楽分校教諭)により、多々良沼で発見された新種で、未だに他に産地を見ない貴重な植物である。和名「タカノホシクサ」は、発見者の姓を記念して牧野富太郎博士により命名されたものである。そしてこの新種タカノホシクサは、植物学雑誌第ニ四巻第ニ八三号一六五〜一六七頁(明治四三年八月ニ〇日発行)に、牧野博士により発表され学会をはじめ多くの人々に知れわたったのである。 タカノホシクサの特徴は、水中に生える稀な一年草で、茎は長くて太く、径三.五〜五ミリメートル、長さ四〜ニ〇センチメートルに達する。葉は茎に密につき柔らかくて糸状をなし、一脈があり長さ三〜一〇センチメートル。花茎は茎の頂にそう生し、高さ八〜ニ〇センチメートル、茎部の鞘は長さ三〜五センチメートル。花期は九月。頭花は扁球形、径三〜四ミリメートル、藍黒色。 「発見当時はずいぶんたくさんあったが、他に類のない珍しいものだといって、東京方面をはじめ他方の採集家が毎年夏季には多数群集して採集した結果今は殆んど絶滅しようとしている。」と発見者の高野氏は、昭和一一年一二月に東毛新聞に述べている。このことからわかるように発見後ニ七年余りで非常に減少してしまったのである。 このタカノホシクサは、ムジナモと共に昭和九年本県において行われた特別大演習の折、天覧に供し奉ったということである。また高野氏は、中野沼の一角にムジナモの保護地ができたならば、タカノホシクサもいっしょに移植して保護したいと願っていたが、かなえられずに今日に至ってしまった。 筆者は、タカノホシクサを昭和三七年一〇月七日に、多々良沼の南東の沼辺にてかなり自生しているのを確認した。この時は茎の殆んどは水中にあり、藍黒色の頭花が水上に出ていた。その後昭和三九年八月ニ九日、文部省文化財保護委員会天然記念物部会委員一行の本田正次博士、武田久吉博士、佐竹義輔博士の三名および関係係官がムジナモ調査のため多々良沼へ調査に訪れた際に、船上からホシクサ科の権威である佐竹博士もタカノホシクサを探されたが見つけることはできなかった。発見後五〇年たらずで絶滅したものと思われる。 この貴重な植物は、高野氏によれば発見当時多々良沼の西端向野土手の内外ならびに鶉新田の田圃等にたくさんあったということである。 |
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