4 その後の多々良沼のムジナモ 
 昭和二二年・・・・・・東大教授本田正次博士による調査
 昭和二二年七月一日、東大教授本田正次博士は、多々良沼のムジナモ調査を行った。この時はひにくにも、むしろ指定水域を離れた部分にムジナモが多産していたということで、その発生にかなりの消長不同があったと本田博士は述べている。
 昭和二四年・・・・・・宇都宮大学主催による多々良沼採集会
 昭和二四年一一月一三日、宇都宮大学主催の多々良沼での採集会が行われたが、この時、ムジナモは、すでに水面に見えなかったと、続栃木県植物総覧一七〇ページ(昭和二六年発行)に述べている。
 昭和三九年・・・・・・文部省文化財保護委員会天然記念物部会委員一行による調査
 昭和三九年八月二九日、文部省文化財保護委員会天然記念物部会委員一行の本田正次博士、武田久吉博士、佐竹義輔博士等の三名は、関係役人をしたがえて、地元関係者の出迎える中を多々良へ向い、途中日向亀井氏旧宅の裏に生えているムサシアブミを視察した後多々良沼へ着いた。
 この日は早朝小雨のパラつく空もようであったが、調査に向う車の中ですでにくもり空となり、多々良沼で舟に乗る頃は暑くないよい日となった。沼では特に弁天南西の指定区域(俗称天沼)を中心に二時間近くムジナモを探し求めたが、一行のだれもがムジナモを目にとめることはできなかった。
 舟を赤土手にいったんとめ、反対側の小さな池の周り(昔ムジナモが多産していた)も調査したが、ムジナモは発見できなかった。帰りに弁天の南西あたりの沼でオニバスを目にとめたのがせめてもの思い出になった。オニバスも次第に少なくなるので貴重な植物であると本田博士は述べられた。
 下船してから本田博士は質問する新聞記者にとりかこまれながら次の如く述べた。「今の現状では、指定解除もやむをえないだろう。」と筆者もこの日一行と同行し案内役をつとめたが、ムジナモの現状を見て悲しみを禁じ得なかった。

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