ムジナモ

ムジナモは学名をAldrovanda vesiculosa L.と言い、モウセンゴケ科(Droseraceae) Aldrovanda属の1属1種からなる多年草で、池や沼に浮かぶ水生の食虫植物です。和名の「ムジナモ」はそのふさふさとした姿が狢の尻尾のように見えることから牧野富太郎博士によって命名されました。また英語ではその輪生する葉を水車に見立てて“Waterwheel Plant”と呼ばれます。

【科】
 モウセンゴケ科(Droseraceae)

【属】
 ムジナモ属(Aldrovanda)

【和名】
 ムジナモ

【英名】 Waterwheel Plant

【学名】 Aldrovanda vesiculosa L.

【ムジナモの発見】 ムジナモはイギリス人のPlukenetによってインドのベンガル地方で初めて発見され1696年にLenticula palustris Indicaと名付けられました。 それから約50年後の1747年に、Montiがイタリアのボローニャ地方で発見し、著名なナチュラリストUlisse Aldrovandi氏にちなんでAldrovandia vesiculosaという学名をつけました。種小名のvesiculosaとは小胞、すなわち捕虫葉を持つと言う意味です。 
 後にLinneが生物分類学を体系化し、自著「Species Plantarum」に収録する際にAldrovandiaをAldrovandaと誤記してしまい、それが正式な学名として定着してしまいました。

【世界での分布】
 ムジナモはインドの他に、ロシア、オーストラリア、フランス、イタリア、ドイツ、オーストリア、スイス、チェコスロヴァキア、ハンガリー、ユーゴスラビア、ルーマニア、ブルガリア、ガーナ、スーダン、カメルーン、タンザニア、ボツワナ、日本などで発見され、南北アメリカを除くヨーロッパ、アジア、アフリカに点在する事が知られました。その後それらの地域の自生地の多くで、近代化に伴う水質汚濁や開発などによる埋立でムジナモが絶滅しています。
 1950年代にロシアとボツワナでの報告の後、一時日本以外の自生地での生息が確認されず、宝蔵寺沼が「ムジナモ最後の自生地」と言われた時期もありました。しかしその後ハンガリー、ポーランド、ルーマニア、ロシア、オーストラリアなどから再発見の報告が届き、現在も世界各地に分布していることが確認されました。またスイスなどでは人工的に自生地が復元されたりもしています。
 現在も世界各地に分布しているといっても、その自生地の多くは依然危機的な状況にあり、ムジナモは絶滅の危機に瀕した非常に貴重な植物なのです。
ムジナモの分布
世界のムジナモの分布(絶滅地含む)

【日本での発見の歴史】 日本でのムジナモの発見は明治23年5月11日、牧野富太郎博士が東京府小岩村伊予田(東京都江戸川区北小岩)で柳の実を採集していた際、用水池で見つけたのが最初です。そしてその姿を狢の尻尾に見立ててムジナモと命名しました。牧野博士は翌年、花を含めたムジナモの詳細な図を描き発表しました。ヨーロッパなどではムジナモの花はほとんど平開せず、牧野博士が描いたムジナモの花は世界の学者に少なからず衝撃を与えました。
 その後、黒田侃氏が霞ヶ浦で、鈴木靖氏が浪逆浦(茨城県潮来町)で、山野忠平氏が北浦の西岸においてそれぞれムジナモを発見しました。 また明治32年には石津平太郎氏が内浪逆浦にて、明治34年には石巻宗治氏が埼玉県幸松村(埼玉県春日部市)にて発見しました。
 明治38年には高野貞助氏が群馬県館林市の城沼の北岸で、さらにつつじヶ岡の瓢箪池にて相次いで発見。また福井勝二氏が近藤沼にて、高沢誠三氏、小島茂三郎氏が多々良沼にて発見し、館林市、邑楽郡近郊の広範囲に分布する事がわかりました。
 また明治44年には諸橋真一郎氏が新潟県西蒲郡黒崎村にて、大正10年には速水義憲氏が羽生市三田ヶ谷にて発見しました。
 大正14年には三木茂氏が京都の巨椋池にて発見。翌年深泥池へ移植し、深泥池でも繁殖しました。
 戦後の昭和25年には三輪豊氏が三重県の長島町で発見しています。
 これらの自生地の多くは貴重なものとして、大正9(1920)年7月「多々良沼ムジナモ産地」、翌大正10(1921)年3月「小岩村ムジナモ産地」、大正14(1925)年10月「巨椋ムジナモ産地」、大正15(1926)年2月「幸松村ムジナモ産地」と相次いで国指定の天然記念物に指定されました。しかし台風などによる洪水での流失、工場排水などによる水質の悪化、農地改良や土地開発による干拓、埋立などによってムジナモが絶滅、または極端に減少してしまい指定を解除されてしまいました。
 昭和20年代頃まではムジナモが残存していた「多々良沼ムジナモ産地」も昭和39年の調査によって絶滅が確認され指定を解除されました。このとき同時に、当時は埼玉県の県指定の天然記念物であった羽生市の宝蔵寺沼ではムジナモが健在であることが確認され、昭和41(1966)年5月「宝蔵寺沼ムジナモ自生地」として国指定の天然記念物に指定されました。
 ところが、同年の台風による洪水によって宝蔵寺沼のムジナモは大半が流失してしまい、わずかに残ったものも、当時周辺で盛んに使用されていた農薬や除草剤の影響を受けて翌年までには絶滅してしまいました。
日本のムジナモの分布
日本のムジナモの分布(現在は全ての地で野生絶滅)

【日本の現状】 このような経緯で、今現在日本にはムジナモの野生状態での自生地はありません。しかし「宝蔵寺沼ムジナモ自生地」は天然記念物の指定を解除される事なく、周囲一帯は埼玉県羽生水郷公園として整備され、宝蔵寺沼はその一角で保護されています。現在では地元有志で構成される「羽生市ムジナモ保存会」と食虫植物研究会が中心となって、人工増殖させた株を毎年放流し、自生地復元の努力が続けられています。しかし、水質はムジナモの生育に影響がないほどに改善されているのですが、増殖した草食魚類やザリガニなどによる食害で翌年までにはほとんどが消滅してしまい、自然状態での繁殖には至っていません。
 宝蔵寺沼の他にも、多々良沼や小岩などでムジナモの自生地を復元しようと言う試みがなされています。
 またN県某所(盗難や乱獲の危惧があるのであえて場所は伏せます)の、かつてムジナモが生息していた場所では、愛好家が放流したムジナモが自然繁殖を続け、夏には数百株の群落を形成するほどになっています。この場所ではほとんど人手をかけていないにもかかわらず、ムジナモは順調に生育しており、環境さえ合えば、ムジナモの自生地復元も決して夢ではない事を示しています。


【根】
 根はありません

【茎・葉】
 茎は長さ5〜25cmほど。時に30cmを超えることもあります。成長期には1〜4本程度の脇芽を分岐し、増殖します。節には6〜8個の葉を車軸状に輪生します。葉柄はくさび形。先端には数本の剛毛状突起があります。葉身は4〜5mmで二枚貝状になっています。この二枚貝状の葉は開閉してミジンコなどの水中の小虫を捕らえて消化します。茎の後端の古い葉茎は順次枯れて一節ごとに脱落していきます。
ムジナモ ムジナモの補虫葉 ムジナモの補虫葉
捕虫葉 一節を輪切りにしたもの
冬には茎の先端を固く丸めて冬芽を形成し、水中に沈んで越冬します。
ムジナモの冬芽
ムジナモの冬芽


【花】
 7〜8月ごろ、葉腋から水面上に5〜6mmの小さな花を出して開きます。花弁はやや緑がかった白色で5枚。おしべも5本。花柱も5本で、先端の柱頭はさらに指状に分かれています。花は1日でしぼんでしまいます。花が終わると花柱は曲がって、果実は水中で成熟します。
ムジナモの花 ムジナモの実
ムジナモの花(HOU氏提供) ムジナモの果実(狢藻愛、氏提供)

【種】
 種は楕円形で小さく、黒色で光沢があります。
ムジナモの種 ムジナモの種
ムジナモの種子(狢藻愛、氏提供)



赤いムジナモ
かつてはまさに幻の水草で、実物を見る事はほとんどなかったのですが、最近では大量増殖の方法も確立し、栽培品が流通しています。
また草体が赤くなる豪州産のものも導入されているようです。



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